ドナーカード(臓器提供意思表示カード)を携帯するってことは、「生」や「死」を考えるってことかもしれない。

ドナーカード、知ってますか?日本語では臓器提供意思確認カードと言います。

脳死状態になった時に、自分の臓器を提供します。臓器を提供しません。
その意思を明示したカードのことを言います。

ボクは、1999年より財布に携行しており、「提供します」としています。
先日、祖母を亡くして、その気持ちが少し変化してきたので語ってみます。



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せめてもの隠れた貢献。献血のような。

1999年といえば、ノストラダムスの大予言の年。
もちろん、人類絶滅なんてことは起きずに、その年は過ぎました。

ボランティアも特にせず、お金も無いので寄付も出来ず、
平々凡々の大学生は、せめてもの社会貢献にとドナーカードを携行し始めました。

「脳死診断で臓器を提供します」

脳みそが機能停止したら、意識も意図も存在せず心が存在しない抜け殻だと思ってました。
だったら、せめて、生きたいと必死にもがいている人たちに臓器を提供したい。
それは、隠れた社会貢献というか、最期の自己犠牲だと思ったからです。
献血に近い、募金に近い、そんな自己満足プラスアルファの貢献です。

考えもしない、動きもしない話もしない。
そんなのは「人」ではないと思ってました。「生物」ではないと。
お部屋はそのまま、遺品もそのまま、のように、
親や親せきが変に未練残してもイヤですし。

「死」ってそもそも何?温かいんだよ?

それから数年。
まだ付き合ってた頃の妻に「ドナーカードも持ちなよ?」って話すと、
「ワタシはイヤだな。脳死でも、温かいんだよ?」って。「死ってそもそも何?」。

臨床心理士でもあり、少々仏教に詳しい当時の彼女は、
「死」の定義が出来ないのに、脳死段階で臓器なんか提供出来ないと言います。

それは、家族や好きな人が「温かい」のであれば、それはまだ生きているんじゃない?!
という意味でした。
ボクはあんまりピンときませんでした。
脳死という「死」を受け止めて、次に進まないと立ち止まったままなのに。

ボクにはピンとこなかった妻の感性は、優しさや愛情の大きさだと思います。
あなたが脳死でも、温かいうちは「死」じゃないでしょ。
心臓は動いているし、呼吸もしているし、細胞だって分裂している。

大切な人の臓器が赤の他人の一部になるのは、
すごい身勝手でワガママな感情だけど、イヤだなって素直な気持ち。

子どもが産まれてからの心境の変化

子どもが産まれてから、ふと、ドナーカードの話題になりました。
「あ、おれ、新しい緑のドナーカードにしようかな」って話したのがきっかけ。

「赤の他人に臓器を提供するのはイヤだけど、子どもには与えたいな」と妻が言います。

やっぱり自分の子どもは特別です。
子どもが助けを求めてるときは、自分の臓器を提供したいという親心です。
考えや心境とは、親になると変わるものです。あたりまえですが。

ボクにも心境の変化が。

不思議なもので、子どもがいると、パートナーへの愛情がより深まります。
絆というか、繋がりがより密接になっていくのです。

うーん、ずっと寝ているっていう感じが脳死だとしたら、
それは「死」と言えるのか?!鼓動も脈もあるんだろ。
その状態なのに、呼吸器外して体にメス入れて、臓器を提供できるか。
妻や子どもの呼吸器外して、臓器を提供できるか?!

「死」は冷たい。硬い。祖母の死で、それを知る。

物心ついてから、実は、この歳になるまで近しい人の「死」を体験してません。
「死」は生活圏が離れた親戚だけでしたが、先日、祖母を亡くしました。

お祖母ちゃんっこだったんです、ボク。
ボクが学生の時は東京の下町は、まだまだ3世代同居とか当たり前でした。

ミイラみたいって思ってた半分寝たきりの祖母ちゃん。
でも、それはまぎれもなく生きてました。温かった。

亡くなって、よりミイラのようになった祖母ちゃん。
たしかに冷たかった。硬かった。時間が経つごとに、それは冷たく、硬く。

でも、まだ祖母ちゃんの姿はそこありました。
警察の検死にはイライラしました。祖母ちゃんを触るなと。
最悪、解剖するという話があったのですが、
それは勘弁してくれ。メスを入れてくれるな。祖母ちゃんに。

信仰心も宗教心も皆無なボクが、そう思ったのです。
枯れ果てた上に、それは死した肉体であるのに、「触るな!」って。
触っていいのは、うちら家族だけだぞ。あとは医者か看護士か寺の坊主だ。

生と死、心と肉体。
そんなもんは科学的に線引きができるもんじゃないんだ。

30歳台も半ばにして、初めて身に染みて知りました。

そこにいるだけで、家族なのです。

自室のベッドに戻ってきた祖母ちゃんの肉体。いや、祖母ちゃんそのもの。
もちろん何も話さないし、寝息も無い。でも、家族。存在感がある。

告別式のあと、棺桶にお花を入れていると、本当にさよならの気がする。
涙が出てくる。お別れだ。あぁ、「告別式」って本当にそのままの表現だな。

まだ呼吸もしているし、鼓動もしている脳死。
ただし、植物状態と異なり、脳幹が機能していないので呼吸器が必要な状態。
妻や子どもがその状態になったら。ボクは「生きている」って思うはず。
二度と起きないけど、それは「死」とは思えないはず。

何時でも抱きしめられるし、こっちからほっぺにキスできるし。
温かいし、柔らかいはず。

自分は、このまま「臓器を提供します」とするが、
妻や子どもがイヤと言うなら「しません」としようかな。

わがままだけど、妻や子どもの臓器提供はちょっと悩むな。
死んだ祖母ちゃんにメス入れられることに拒否感があったくらいだし。
妻や子どもの身体にメスが入るのはイヤだ。キレイなままお別れしたいな。

そんな感じで、お財布の中のドナーカードを新調しよう。
もちろん、妻とゆっくり話して。

ちょっと暗いというかしんみりとした内容かもですが、書いてみました。
人間、やっぱり、自分の身近なことで経験しないと考えないものですよねぇ。

歳を重ねて、少し考えが変わった@tangerineでした。
次回はあっかるい話題で投稿しますねー。
ちなみに、脳死の解説はこちら。植物状態とは異なるので注意!

まずこれだけは

「脳死」とは、脳の機能が失われてしまった状態

少し詳しく

「脳の機能が失われてしまって,今後回復が見込めない状態です。心臓は動いていても,脳幹と呼ばれる脳の中枢が働かなくなった状態で,多くの場合10日ほどで心臓も止まって死亡に至ります」

時間をかけてじっくりと

「脳の機能が失われてしまった状態で,今後回復が見込めない状態です。心臓は動いていても,脳幹と呼ばれる脳の中枢が働かなくなった状態で,10日ほどで心臓も止まって死亡に至ります。法やガイドラインで決められた要件を満たした,複数の医師による脳死判定で決められます」

こんな誤解がある

植物状態と脳死の患者を混同する誤解がある。この違いは脳幹が働いているかいないかにある。植物状態は,脳幹が働いており,生命の維持はでき,適切な医療を行えば十数年も生存できる。一方脳死は,脳幹が働いておらず,10日程度で死亡する見通しである。

by 国立国語研究所「病院の言葉」委員会

今まで提供を受けられた人は24人にのぼるようです。(2013.08.16現在)
もし、いろいろ考えて、臓器を提供してもよいという人がいれば登録を検討してみてください。
ボクも今のところ「提供します」です。

日本臓器移植ネットワーク | 臓器提供について | 意思表示カードについて
ドナーカードの詳しい説明です。

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