[書評]【ちょっとピンぼけ ロバート・キャパ著】ウィットに富んだ従軍ストーリーの中に写真の本質に気づかされる。写真好きにもおススメ。

月並みですが写真とカメラが好きな みかん(@tangerine_buddy) です。

今さらなのですが、ロバートキャパの自伝的な本があること知り早速購入。
ストーリーは映画のようで読みやすいのですが、その中に、
戦争や時代の空気の真実も垣間見ることができました。

写真という表現方法、写真というメディアの本質は今も変わることは無く、
とても勉強になる1冊でした。写真好きにもおススメです。


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ロバートキャパの自伝的ストーリー

報道写真家として主に戦場の写真を撮っていたロバートキャパ。
カメラ・写真を商売道具として、戦場の最前線を仕事場にしていた人です。

ロバートキャパがベトナム戦争で地雷を踏んで殉職する前に書かれた自伝的著書です。
日本では1979年に出版され、ボクは文庫版で読みました。

キャパの写真集は眺めたことがあるのですが。

報道写真というメディアの特性を上手に表現していると思います。
そして、カメラを持って写真を撮ることについても考えさせられます。

ストーリーも映画のような感じなので、読みやすかったです。
陽気な従軍記、陽気な回顧談に近いですね。

写真が好きで、もっと上手になりたいなと思っているボクにとって、
このキャパの本はとても参考になったところが多いです。
もちろん、戦争の真実や時代の空気など、感じることができますよ。

戦争の真実を訴える葛藤

キャパは飛行隊の基地でパイロットたちとポーカーをする日々。
しかし、この朝爆撃に飛び立った24機の美しい編隊で戻ってきたのは、たった17機だった。

昇降口の扉が開いた。乗務員の一人が運びおろされると、待ちかまえた医者に引渡された。彼は呻いていた。次のおろされた二人は、もはや呻きもしなかった。最後に降りたったのはパイロットだった。(中略)

私は彼のクローズアップを撮ろうと思って近よった。すると、彼は途中で立ち止まって叫んだ、

― 写真屋!どんな気持ちで写真がとれるんだ!

私はカメラを閉じた。(中略)

私は自分を嫌悪し、この職業を憎んだ。

この後、一夜寝たキャパは、死んだり傷ついた写真こそ戦争の真実を訴えるものであると、少し気分は軽やかになったと語っている。自分が湿っぽい気持ちにならないうちにフィルム1本撮り終えたことは良かったことだと。

報道を生業にする人間の葛藤は今も変わらないと思う。
そして、一晩寝て、自己肯定する強さと面の皮の厚さも必要なのだ。

アフリカ戦線の砂漠の中で撮りえたものとは

キャパはアフリカ戦線にも赴く。
ドイツ軍からの砲弾を受けつつ、身を守るのが精一杯の状況。
友軍が優勢になり、ドイツ軍が後退した後にキャパはあらゆる角度から写真を撮った。

けれども、私の感じた、またこの肉眼で捉えた戦闘のあの緊張や劇的な場面を、真に撮し得たものは一つとしてなかった。

キャパは、「戦争は年増女優のようなものだ、危険になればなるほど、次第に写真づらが悪くなってくる」とも述べているように、本当に危険な状況の写真など、とても撮りえないものだと。

写真屋として、その写真という表現方法自体に懐疑的な感覚。
その懐疑的な思いの中でもカメラひとつで戦争を訴えていくキャパ。

要害を落とす作戦で失った多数の命

丘の頂の上の町はドイツ軍の要塞となっていた。
キャパはこの要塞を攻略する作戦に、はじめから終わりまでつきっきりだった。
立派な兵士たちが無数にその命を失った。

私は確かに素晴らしい写真をとり得たと思った。それらの写真は、単純なものであったが、戦闘というものは実際は陰鬱で、また目だたないものであるかを如実に示すものであった。

多数の戦死者を出した凄惨な戦場。
戦闘とは非常に陰鬱で、目だたなく、人が死んでいく行為だと。
センセーショナルでも劇的でもなく、「目だななく死んでいく」行為だと。
それは陰鬱そのものである。

スクープ(特種)写真とは何か

本書の中で、スクープのことを「特種(特ダネ)」という漢字の訳を充てている。
キャパは、写真屋として特種(特ダネ)を撮って食っていく商売である。

その特種(特ダネ)について、

「特種」というものは、幸運に加えるに迅速な輸送に依存し、しかもそれらのうち、たいていのものは、印刷された次の日にはもう無意味になってしまうのである。

特種(特ダネ)は実力だけでなく、幸運+輸送という写真屋以外の要因で決まると。
そして、その写真は印刷されれば無意味になってしまうと。
キャパはここでも、写真屋という立場・写真というメディアに客観的な視点を持っている。

輸送の重要性は、戦争の兵站でも、ビジネスの通信でも同じく重要である。
現場の写真家では、何も出来ないことを痛感しているようだ。

商売道具である写真に対する、どこか虚無感にも通じるキャパの心情。
これは、いわゆる職人気質とは違ったものだと思う。

ドイツ兵と戦った少年民兵への敬服。大人への不信。

ドイツ軍が占領する街を奪還するには、強固な要塞を落とす必要があった。
多大な犠牲を払った結果、街を奪還した兵士たちは市民に歓迎を受けながらの入城する。

これは、キャパが生まれ故郷のヨーロッパに向かう戦線であった。

そこでキャパが見たのは子ども用の棺から足をはみ出した多数の亡骸であった。
子どもと大人の、ちょうど中間くらいの年代でもレジスタンスとしてドイツ兵と戦っていたのだ。
そして殺された。

この子供たちは鉄砲と弾を盗んできて、われわれがキウンツィ峠に釘づけにされていた十四日間、ドイツ兵と戦ったのであった。
この子供たちの小さな足こそが、私をヨーロッパへ―私がそこへ生れたヨーロッパへ迎えてくれたのだった。それは、途中の路上であった群集の、ヒステリックな声よりも、はるかに真実な私に対する出迎えであった。あの群集の大部分は、かつてはムソリーニ万才の「ドウチェ」を叫んだ同じ大人たちなのだ。

あたりまえだが、キャパは大人の群集の本質を見抜いていた。
その時その時の優勢な側につくヒステリックな同調の声。

キャパは、飾りっ気のない棺や、打ちひしがれた母を撮り続けた。
戦いの勝利の一番の真実を示すものとして。

ノルマンディー上陸作戦への従軍

キャパはノルマンディー上陸作戦の最前線に従軍した。
上陸用装甲艇に乗り込み、海に飛び込む。
アイルランド人の牧師とユダヤ人の医者の兵士の上陸寸前を撮影していく。

この後、キャパは、母艦に戻る上陸用装甲艇に乗り込もうとした。
死の恐怖と寒さからの震えの中、本能的に「逃げ去ろう」としていた。

振り向いて上陸することは出来なかった。

ノルマンディー上陸作戦以降も、欧州戦線の最後までを回顧談的に描いています。
バーバリーのレインコートを着て、ダンヒルの金属製酒瓶(フラスコ)でスコッチを持ち歩いて従軍していたキャパは、なかなかの色男だったようです。小説家や芸術家とも親交が広く、日本の芸術家とも親交が深かったようです。

ストーリーが映画のようで、翻訳者が上手なのかなって思うくらい軽妙にウィットに富んで話が進んでいきますので重くないです。実際、キャパ自身が話を誇張したり作り話を挿入したりしているとか。

文庫版、おススメです。

ちなみに、一ノ瀬泰造氏の「地雷を踏んだらサヨウナラ (講談社文庫)」もおススメです。
カンボジア内戦のルポです。こちらも陽気です。
ボクはアンコールワットに旅する前に読みました。
戦場に赴く報道写真家は、自分の表現方法として、どこか陽気な性格が必要なようです。
(もちろん、現実は陽気ではなく、一ノ瀬氏は捕えられて処刑されてしまいます)

キャパも一ノ瀬泰造も愛嬌がある人だったんだなって思います。

写真を生業としている写真家については、彼らが撮った写真で判断するものだと思う。
でも、写真が好きで興味がある一人として、写真家の心情の吐露が文章で表現された中に写真が上手になるヒントや写真を趣味としてつきあっていくヒントがあるんじゃないかなって思います。

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